いい人で終わるな、GROUNDSCAPEの意味を問え ーGSDW2011レポートー

高柳誠也/Seiya Takayanagi

はじめに

「非日常の風景を目の当たりにしただけに、改めて「日常」とは何か問いたい」
3.11の後、あらゆるものの価値が揺らいでいる中で、あえて日常の風景について考えたかった。津波や原発によって非日常性が顕在化することによって日常が意識化されたからかもしれないが、復興計画に関する情報が飛び交う時期にこれからの日常の風景とはどういうものなのかについて考える必要があると思ったからだ。
人々は、見慣れた風景を自分自身の中に作り出していく。身の回りの風景を日常化する。日常化された風景は安定した状態として認識されるため、普段は大して関心を抱かない。毎日の生活において、見慣れた風景の変化に敏感すぎることはその他の情報についていけなくなることがあるからだと思う。そんなこと考えていたらやってられない、そんなところだと思う。「ちょっといいところだな」と思った場所が多少壊されたことくらいのことでノスタルジーにずっと浸っていては暮らしていけない、そんなことより大事なことがある、というのがいわゆる都会で生活する人々の正直な気持ちなのだろう。
牛久はそんな「見慣れた風景」を生み出しているまちだと思った。初めて訪れた際に感じた既視感。いわゆる「郊外」。簡単にカテゴライズできるようにまちが出来ている。見た目だけでなく、音や匂い、そして周辺を歩く市民の雰囲気なども郊外という記号を帯びているような感じがした。郊外は、その中心部との関係性によってまちが成立している面もあるため、冷たい言い方をすれば、まちの人々にとっては牛久が変化することよりも東京や柏が変化することの方が影響あるのではないかとさえ思わせた。

牛久中心部の俯瞰(撮影:筆者)

牛久中心部の俯瞰(撮影:筆者)

郊外の問題点の一つは均質化といわれる。その問題が顕在化してきたのは、都心部との関係性が変化したために、自分が住む土地との関係性を築く必要が生まれてきたためと捉えることもできる。そのため、どうやったらまちらしさが出るだろうかという試みがあちこちで行われている。しかしその試みさえも均質化しているように思えるケースもある。必要なのは土地から切り離された見慣れた風景から土地の存在を取り戻し、関係性を結び、その関係が新しい日常となることではないだろうか。しかし安直な関係性で場所が消費されてはならない。
今年は以上のようなことを考えながらシャトーカミヤを対象に、「パブリックスペースとして」「居場所として」という言葉で課題を設定した。

いい人で終わるな

WS前半はコンセプト発表や中間発表での課題を例年以上に形に落とすことを要求したために順調に進んだものの、中間講評以降苦しみもがくチームが多かったように感じた。WS終盤のエスキスで小野寺康氏が最後に「エスキスで『いい人だね』、と言われるのはデザインの世界ではバカだ、って言われているってことなんだぞ」と檄を飛ばした。個別のアイデアのいいところをただ合わせたような案は見抜かれていた。そのエスキス(内藤廣氏も同時にエスキスを行っていた)の後にもう一度コンセプトからじっくりとお互いに本音で語り合った(ように見えた)グループが最終的に案として飛躍していったように見えた。もちろんその結果、案が思うように着地できなかったところもあったが、その分裂、対立もWSとしての価値がある経験だったのではないかと思う。

エスキースの様子(撮影:内藤歩)

エスキースの様子(撮影:内藤歩)

このようなWSになると、ある程度分業制にした方が効率よく作業は進む。建築の人に建築関連を任せ、土木の人に地形のデザインをしてもらい、都市の人にはまちとの接続の方法、造園の人がいれば植栽に関しての提案を作ってもらう。特にこれといった作業がない場合は模型を作ったりする。といった具合に。分業制のいいところはその効率性だが、ある時点を超えるとお互いが何を考えているのかわからなくなり、意思疎通ができなくなるという危険性を孕む。そしてズレを認識しているものの、任している人以上に専門知識がなく、ズレを指摘することで作業がまるっきし無駄になってしまうかもしれないというリスクから何も言わない場合が多い。ズレが広がっていった結果、建築も土木も都市も一緒に取り組んでいたはずなのにバラバラなものになる、もしくはアイデアが安易なものにとどまる、といったことが起きる。
実際のまちづくりでも同様のことが起きているのではないかとWSを運営しながら考えた。コラボレーションと簡単には言うけれども、その前提として個としての実力、他の分野に関しても見識、信頼関係と緊張関係のバランスを保つといったことが必要であるという言葉にしてみれば当たり前なことを再認識することになった。

GSが当たり前になった世代として

最終講評会で乾久美子氏からの「あなたにとってGROUNDSCAPEとは何なのかを問うて欲しい」というメッセージが印象に残っている。
GSDWも今年で8年目の開催であった。8期生までこれまでWSに参加したメンバーの総数は250名近くいる。GSDyも設立から6年が経った。僕らは研究室に入った時から、GS(ユースも含め)という言葉が存在していた。GSという考え方は確実に多くの学生にも浸透していると思う。ただ、GSがあまりに当たり前の言葉になっておりその意味や中身について向き合って考えた経験というのは少なくなってしまっているのではないだろうか。
GSが生まれてきた経緯を体感していない世代なだけに、もう一度「GROUNDSCAPE」の意味をそれぞれ問うて悩まなければならないと思う。時代や世代によって考えることが変わってもいいと思っている。僕らにとってGROUNDSCAPEとは何なのか。すぐに答えを出す必要は無いが、そこを考えずに思考停止したままGSという言葉を使うのはどうなのだろうか。ただの仲良しサークルに堕落してしまうのではないか。次世代にGSDyを、GSDWを引き継いでいくためにも、GSについて考えることを継承していきたいと思う。
WS参加者にも、ぜひただ苦しかった、大変だった、貴重な体験だった、ということだけでなく一度GSとは何なのかじっくり向き合ってほしいと願う。

今年の特徴

各チームの提案内容について書いてこなかったが、震災の影響も無意識のうちにあり、生と死をテーマにするものが2つ、そして時間を意識させるようなテーマのチームも多くあった。
また興味深かったのは先日行われた市民発表会では最終講評会で比較的評価が低かったチームが軒並み上位に食い込んだことである。期間内で着地できなかったチームがブラッシュアップを重ね市民に伝わるようなプレゼンテーションをしていた。それに対して最終講評会で上位だったチームのデザインの真意は市民には伝わりにくかったようだ。
しかしながら、今年は例年以上の力作が揃ったWSとなったと思う。

参加者の集合写真(撮影:内藤歩)

参加者の集合写真(撮影:内藤歩)

謝辞

拙い運営であったものの、熱い想いでWSに取り組んでくれたのは嬉しかったです。参加者の皆さん本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。
また、講師、チューターの皆様、そしてスタッフとして協力していただいた7期生やユースのメンバーをはじめ多くの方々に重ねて感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
牛久でのWSは今年で最後、来年からは別の対象地でのWSとなります。来年はどのようなWSになるか今から楽しみです。

高柳 誠也/Seiya Takayanagi
長野県松本市出身
東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻景観研究室

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