その時、被災地で求められるデザインとは?

松宮 かおる/Kaoru Matsumiya

 3月11日14時46分18秒。私は高知県の山中で丸太に向かって斧を振り下していた。斧の重みを利用し、刃を年輪の中心にぴたりとあて、一振りでいかに上手く薪を割るかに夢中だった。南国土佐で薪割り職人と化していた私は、遠く離れた東北の地で、未曾有の大災害が起きている事など知る由もなかった。そんな私がこれまでどのように被災地と関わってきたのか、そしてその中で感じた「被災地で求められるデザインとは何か?」について本稿では書いていきたいと思う。今の率直な考えと気持を書いたので、些か話が脱線しがちであるが、どうか最後までお付き合いくださいませ。

はじまりは林業研修から

 震災が起きてから間もなく9カ月が経とうとしている。その間に私は東北に3回足を運んだ。しかしその話に入る前に、まず冒頭でなぜ私が薪割り職人と化していたかについて説明した方がよいだろう。被災地と私の関わりも、全てここから始まるからだ。
 今年の春、私はランドブレインの上田さんのご紹介により、田舎で働き隊!という農林水産省の農村活性化人材育成派遣支援モデル事業に参加した。高知県の土佐の森・救援隊という森林ボランティア活動を行うNPO法人に3月の1カ月間研修に入り、チェーンソーを用いての間伐や薪づくりなどを体験していた。そしてその研修期間中のイベントとして、岩手から薪割りストが講演やってくるという予定があった。しかし、その講演予定日の前々日のことである。東日本は大きな揺れと津波に見舞われた。高知に向かう途中で被災された薪割りスト・深沢光さん(岩手県遠野農林振興センター林務課長)は、職場のある岩手へと戻り、大槌町の避難所のひとつ、吉里吉里小学校で、薪を利用してお風呂を沸かす活動を始めた。そして当然のごとく、高知にもその活動への応援要請が来た。3月いっぱいという研修期間を終了したその足で、私は土佐の森・救援隊の事務局長である中嶋健三さんと共に、吉里吉里へと向かった。

吉里吉里でのボランティア活動

 吉里吉里では津波に流され、がれきと化した住宅の柱や梁材をチェーンソーで切断し薪をつくる作業を行った。その薪でお風呂を沸かし、被災者の方に入って頂いた。4月のはじめ、まだ雪も舞う寒い時期である。その頃避難所で生活されていた被災者の方の表情に余裕はなく、お風呂に浸かるという事もためらわれているようだった。ただそんな中でも、子供たちだけは、喜んでお風呂に飛び込み、「気持ちいい~。」といって大きな笑顔を見せてくれた。

河童薪の湯ではしゃぐ子供たち(写真:吉里吉里小学校)

河童薪の湯ではしゃぐ子供たち(写真:吉里吉里小学校)

 地元の方に愛着を持ってもらえるようにと、この薪で沸かすお風呂は、「河童薪の湯」と名付けられた。河童はボランティア活動の拠点である遠野にちなんでいる。
 2度目の吉里吉里は8月のはじめ、青々と成長した草が、町に残る津波の傷跡を覆い隠そうとしている時期だった。私はがれきからつくった薪を全国へ販売し、その収益を復興資金に充てるという「復活の薪」プロジェクトのお手伝いをした。##

復活の薪を作成中(写真:筆者)

復活の薪を作成中(写真:筆者)

 また地元住民の仮設住宅への移住も完了し、避難所も閉鎖される頃で、既に地元住民に運営の手が移された河童薪の湯のお湯はりも、その夜が最後だった。私は最初で最後の薪の湯での入浴を終え、避難所閉鎖の打ち上げを地元住民やボランティアの方と楽しんだ。避難所の打ち上げって!?というツッコミはさておき、お手製のピザ窯を囲んで、大人も子供も、みんなびっくりするくらいの笑顔だった。
 3度目の吉里吉里は11月末、復活の薪の材料となるがれきも無くなってきた頃だ。がれきが無くなれば、今度は山から薪材を得ようと、津波により働き場を失った漁師たちが立ち上がった。林業経験の無い彼らにその方法を教えたのは、土佐の森・救援隊の中嶋さんである。10月から本格的に間伐材の切り出しが始まっており、長い間手入れがされず荒れ果てた吉里吉里の山々は再生に向けて歩みだし、漁師たちは林業という新たな生業を手に入れた。

地元漁師に向けての林業研修(写真:筆者)

地元漁師に向けての林業研修(写真:筆者)

 さらに、津波で一族の家々を失った方が、自らの土地を提供して下さり、そこに林業と地域復興の新たな拠点・吉里吉里国を建国しようという計画も持ち上げっている。広大な土地に、木造の小屋をセルフビルドで建てていく計画で、建築を勉強している身として、私はその相談に乗らせて頂いた。
 薪で沸かすお風呂から、復活の薪づくり、そして林業・吉里吉里国建国へと、着実に吉里吉里は復興に向かって歩んでおり、それに合わせて私の支援の方法も変わってきている。今後は、自身の専門を生かした支援ができるのではないかと期待している。

三位一体の復興プラン―コミュニティのデザイン―

 3度目の吉里吉里訪問の際に丁度、吉里吉里小学校で地域ミーティングが行われ、その模様がNHKの復興サポート番組として収録された。ゲストスピーカーとして、これまで各地の町おこしで成果を上げてきた、民俗研究家の結城登美雄さんを招き、地域住民には元々主産業だった漁業・仮設のプレハブ食堂・そして新たに加わった林業を含む、主に3つの職業を生業とする方々が集まった。結城さんはこれまでご自身が取り組んできたまちづくりの中で、吉里吉里でも応用できる可能性のあるものを、それぞれの業種ごとにお話された。それを元に集まった地域の人々が、「これは私たちにもできそうだ。」「この実現にはあの課題を乗り越えねば。」など自由に意見を出し合った。そんな話し合いを進めていく内に、住民同士の間で段々と見えてきた復興ビジョンがある。それは、結城さんが持ちかけたこんな提案からだ。
「漁師さんが採ったわかめを、お母さんたちがおいしい料理にして食堂で出す。その料理を間伐材から作った木のお皿やお箸を使って食べる。こんなのいいんじゃないか~?」
結城さんはこれまで別々に活動してきた漁業・食堂・林業の3業種を見事に結びつけ、吉里吉里をひとつにしてしまった。

吉里吉里での地域ミーティング(写真:筆者)

吉里吉里での地域ミーティング(写真:筆者)

 被災地では未だにハードをきちんと整備するだけの資材とお金がない。このような状況の中で復興に向けて大きな力を発揮するのが、人と人との繋がり方のデザイン「コミュニティデザイン」である。そして、このような全体的な組織作りが整った後、次は資金が必要となってくる。ではどのようにお金を調達してくればよいだろうか。

国の補助金は待ってられない!―お金の流れのデザイン―

 地域ミーティングの中で結城さんがユニークな資金の生み出し方をご紹介された。今回はその中のひとつ、「千年の蔵」プロジェクトについてお話しよう。
 宮崎県日之影町の山中に築100年を超える石蔵がその役目を終え、ひっそりと建っていた。このまま人が訪れることもなく、朽ちていくだけの運命だったこの蔵を、なんとか村おこしに使えないかと「五ケ村村おこしグループ」が立ち上がった。石蔵を移築し、カフェに改装して蘇らせようという計画だ。しかし、蔵の移築と改装には1千万円かかるという。この多額の資金を一体どこから調達するのか。村おこしグループは銀行からの借金はもちろん、国や県からの補助金という選択肢も取らなかった。その代わりに10枚綴り1万円のお食事チケットを販売したのである。このチケット1枚は、カフェがオープンした後に千円分のお食事券として利用できる。この1万円のチケット綴りを千人に販売することで、1千万円という資金を手に入れたのである。千人の協力を得て蘇ったこの蔵は、「千人の蔵」と名付けられた。
 このプロジェクトの素晴らしいところは、単に資金を上手く集めたことだけではない。カフェのオープンを待たずして、将来必ず利用してくれるお客さんをも同時に獲得している点だ。また、結城さんはこの前金というシステムについて、興味深いことをおっしゃっていた。このプロジェクトに限らず、農業・漁業などにおいても「前金という形でお金が入ってくることで、事業の計画も立てやすく、安心して生産することができる。生産者の安心が、消費者の安心にもつながる。」という。つまりお金の仕組みというのは、消費者の安心にまで影響するものなのだ。
 今回の災害は非常に規模が大きく、国も即座に資金を必要としているところに届けることができない。それぞれの被災地においても、この例のように国の助けを待つことなく自らの力で資金を生み出すことができれば、復興へ向けてスムーズに計画が進んでいくだろう。私は間もなく上海の投資ファンドへ研修に入り、ファイナンスの勉強をしてくる予定だ。そこでは、この千人の蔵のように、プロジェクトを成功へと導くお金の流れのデザインを習得してきたいと思う。

宮古市仮設住宅集会所建設―プロセスのデザイン―

 本章では吉里吉里から宮古へ舞台を移し、仮設住宅に求められるデザインについて述べたい。まずはこの写真をご覧頂こう。

仮設住宅の集会所ODENSE(写真:筆者)

仮設住宅の集会所ODENSE(写真:筆者)

 これは岩手県宮古市の仮設住宅に併設された集会所ODENSEの建設風景である。立命館大学建築計画研究室のプロジェクトで、私も現場に赴き、10日間仮設住宅に泊まり込んで、施工のお手伝いをしてきた。この写真を見て、何のデザインがされているかおわかりだろうか。一見するとサッカーボールのような派手な外観に目が行ってしまうだろう。しかし、私が本プロジェクトにおいて評価したいのは、施工プロセスのデザインである。この集会所は基礎や電気・水道工事などを除き、全ての工程を学生の力で行った。遠く関西から東北の地へ足を運び、約1ヵ月間学生が毎日のように現場へ通い施工を行った。これは集会所の併設された、僅か14戸という小さな仮設住宅の住民の方々にとっては、日々の楽しみでもあったようだ。またパネルが全て組み上がった日には、近頃では珍しくなった上棟式も行った。周辺地域の方も大勢参加し、小さな仮設住宅は大きな活気に満ち溢れた。このように外からも人を集めるというのは、規模の小さな仮設住宅の集会所にとっての大きな役割のように思う。今回の施工プロセスを経て、この集会所は地域から愛されるものとなり、これからも活用されていくのではないかと期待している。

上棟式では地元住民が空から降ってくるお菓子をめぐって大フィーバー(写真:筆者)

上棟式では地元住民が空から降ってくるお菓子をめぐって大フィーバー(写真:筆者)

 今回のプロジェクトのように、震災や津波で家を失った人々のためには、国も企業も国民も、誰もが協力的だ。学校や公園などの公共の場が避難場所となり、一時的に住む場所が当たり前のように提供される。しかし、同じく家を失った人でも、公共の場に一時的にでも住むことを許されない人々もいる。次章では震災という災害に見舞われた東北かもら舞台を移し、みなさんの周りにもいる、都会に住まう被災者について考えたい。

被災者とホームレスとの違いって?―概念の「Re デザイン」―

 駅や公園などに段ボールやブルーシートを用いて家を建て住む人々、ホームレス。彼らを見て、みなさんはどんな感情を抱くだろうか。嫌悪感?それとも同情?一般的に、ホームレスは地域住民からは邪魔者扱いされる。同じ公共の場を住処としている被災者に対する扱いとは大違いだ。この違いは一体どこから生まれるものなのだろうか。
 今回のような地震・津波に限らず、台風・洪水などの天災による場合は、家が失われた要因は明確である。そのため被災者は完全なる被害者として扱われ、保護の対象となり、公共の場に一時的に住むことも快く許される。一方、ホームレスの場合はどうだろうか。不況という恐ろしくも実態が見え難く、その影響する範囲も不確かなものが要因となり、職を失い、家を失った場合は、その因果関係がはっきりとしないため、被害者として理解されないことが多い。しかし、この両者に大異はあるのだろうか。不況は人災、つまり地震や台風と同じく災害とみなし、これにより生み出されたホームレスも同様に被災者として扱うことはできないのだろうか。ホームレスというこれまでの概念の「Re デザイン」である。
 ごく短期的なものではあるが、ホームレスも被災者のように、公共の場を避難所として利用した例がある。2008年末から翌年始に東京日比谷公園内に設けられた「年越し派遣村」である。このようなホームレスに対するセーフティネットと、都市防災計画を同時に考えることはできないだろうか。つまり、地震などの天災においても、不況などの人災においても対応し得る、地域避難所計画を提案したい。そこで今度は、都市空間の研究を行う身として、自身の研究をこのセーフティネット&都市防災計画にどう生かすかについてお話したい。

都市内空地の研究を防災計画に生かす

 私は現在、都市におけるオープンスペースを定量化する研究を行っている。まずは簡単に私の研究を紹介しよう。
 空地を建物が建っていない土地、すなわち非建蔽地とみなした場合、その量を表す指標として空地率がある。しかし、空地率は単なる面積比で計量されるもので、空地のもつ形態上の差異が計量できないという欠点がある。例えば図1に示すように、同じ空地率であっても集約している空地(A)の方が利活用の可能性があり、有効に働くと考えられる。つまり、空地を単に非建蔽地とみなし、その面積のみで捉えては実際に活用可能な空地量の把握はできない。そこで、

図面

図面

私の研究では空地を建物間の「隙間」と有効に活用可能な「有効空地」に二分して捉え直すこととする (図2)。ここでいう隙間とは、建物配置図において半径rの円が通過できない領域として定義し、隙間以外の空地を有効空地とする。半径rの値は分析の目的に応じて設定することが可能である(図3)。
 この手法の都市防災計画への応用を考える。その場合、通過させる円の半径rを災害時の利用を目的として設定すればよい(例えば、r=1.5m:自衛隊トラックの通行可能幅、r=5.5m:1㎡/人とした場合の一時避難場所設置基準、r=7.0m:緊急救助用ヘリポート設置基準など)。これにより分析対象地において災害時に活用可能な有効空地がどれだけ存在するのかが明らかとなり、一時的な避難場所としての有用性を明らかにすることができる。つまり既定の避難場所に対しては、その避難場所としての有用性の再評価を、さらに現在避難場所に指定されてないオープンスペースの中からも、新たに避難場所として適した場所を見出すことができる。これにより、地域住民にとってより身近な避難場所を組み込んだ、新たなハザードマップ作成が可能となる。

まずは適切な設問設定から

 ここまで「その時、被災地で求められるデザインとは?」というタイトルを掲げ、いくつかのデザインについて書いてきた。ここでは、「どのようなデザインにするのか?」ということよりも、「何をデザインするのか?」ということに重点を置いてきた。デザイナーの視点というよりは、プランナーの視点なのかもしれない。デザインの勉強をしていると、与えられた案件に対して「どのようなデザインにするのか?」という解答ばかりに目が行ってしまい、そもそも自分がデザインしているものの価値について問い直す事を忘れてしまうことがある。しかし、これは危険である。なぜなら、プロジェクトを成功に導く鍵は、解答の美しさの前に、適切な設問の設定にあるのだと、被災地での経験を通じて改めて感じたからだ。
 これからも私は積極的に被災地と関わっていくつもりだ。刻一刻と状況の変わっていく被災地で、「いま、一体何のデザインが求められているのか?」支援を続けていく中で、しっかりと見極めていきたい。

おまけ―考えるのって怖くないですか?―

 7月末だったか、レタプレ事務局の服部くんから震災記事の執筆をお願いされた時、実を言うとかなり気が進まなかった。レタプレを執筆するには、与えられたテーマについて深く考えなければならないことがわかっていたからだ。それは、ここ数年物事について深く考えるということを拒んできた私にとっては、かなりのプレッシャーだった。そんな重圧もあり、なかなか原稿に向き合えない日々が続いた。なぜ私がこんなにも重症の考えたくない病にかかってしまったのか、その原因についてはおまけという本章の立場もあるので、ここでは割愛させて頂く。しかし、学部3回生の時に参加したGSDWで、内藤先生に言われた「敷地への愛が足りない。」という言葉がそのきっかけとなったことは間違いない。一生懸命考えれば考えるほど、現実とは違う方向へと行ってしまうのではないか…それからずっと、考えることが怖かった。しかし、これはただの逃げなのかもしれないと、最近思うようになってきた。考えた結果が例え間違っていたとしても、それが間違いだとわかるだけで、以前の私よりは成長しているのだ。
 もう怖れるのはやめよう。考えることの怖さを知った私は、現実と思考とのバランスも、きっとうまくとっていける。

松宮 かおる/Kaoru Matsumiya
(立命館大学)
千葉県出身
2011年立命館大学大学院博士前期課程修了
現在、同大学院博士後期課程在籍

コメント / トラックバック 2 件

  1. 岡田裕司 より:

    「お金の流れのデザイン」。
    国の支援を待っていられない地域の持つ課題として大きなもののように思います。
    これは被災地に限らず、平時のまちづくりについても同じ事が言えると思います。経済システムが人々の生活の根本にあって、マクロレベルでの人と人のつながり、延いてはまちの姿さえもつくりだしている。その中心とも言えるのが「祭」だとかそういうコト・システムなんだなーと、この前川越のおじいさまからお話を伺ってなるほどなと感心させられたのが記憶に新しいです。文中にあった、

    “農業・漁業などにおいても前金という形でお金が入ってくることで、事業の計画も立てやすく、安心して生産することができる。生産者の安心が、消費者の安心にもつながる。”

    これは日本の一次産業のあり方を考える上で、本当に重要な視点ですね。TPP問題もありますし。

    また、被災者とホームレスについての言及、社会に発信すべき視点だと思いました。
    なかなか議論にあがらない視点だと思います。
    目下、東北のことで国も精一杯なご様子ですが、この際しっかりと議論して価値観や見方を変えていく必要性がありますよね。また、そのような価値観の変革のチャンスにある?ようにも直感的に感じます。

    たしかホームレス研究されたいとかおっしゃってましたよね?されてるのかな?
    ホームレス研究家として今後とも社会発信を頑張ってください!(これバカにしてないです、本心です)

    上海でお金の流れのデザイン勉強中ですよね。頑張ってください!

  2. 松宮 かおる より:

    コメントありがとね。

    「お祭りが風景をつくる」
    これを実感したのは、わたしがTAで1年半関わってきた滋賀県近江八幡市島町の「ほんがら松明」のお祭りだな。ここは地方集落の例にもれなく人口減少が進んで、お祭りも50年くらいずっと行われてなかったんだけど、5年前に地元の青年団が中心になってお祭りを復活させたの。このほんがら松明(ほんがらは中が空洞という意味)の材料は菜種の種を採った後の菜種殻や稲を脱穀した後の稲藁などで、農作業の途中で出る余剰物をうまく再利用してるの。余剰物っていっても、お祭りを大切にしてる地元の人にとっては、それも大切な主産物なんだよね。だから、お祭りをやるっていう目標があることで農作業に対するモチベーションも上がって、ひいては集落の農村風景の維持にもつながってるの。
    でもね、そのお祭りを行う補助金が事業仕分けでカットされたみたいで、これに対して集落の人が言ってた言葉がとても印象的だった。
    「農村風景を守れ守れって国は言うけど、祭りっていうソフトの部分が風景をつくっているんだっていうことをわかってない。」
    風景をつくるのってハードの部分だけじゃなくて、そこに住む人々の生活が風景としてあらわれるんだよね。

    ホームレスの研究の方は、他の研究に追われてなかなか最近はできておりませぬ…そしてホームレスという方々に対する考え方を変えるのってすごく難しいなって、今まで色んな人と話してきて思うよね…でも、これについてはライフワークのつもりで、ずっと考えていきたいなって思ってるよ。

    上海での研修もはじまったばかりです。投資っていう形でお金を扱うのって、数字やグラフばかりを見ていて、人を見ていない気がしてたけど、なんだかそうでもないみたい…。現地に足を運んで、各担当者と話をして、食事をして、ゴルフをして…。笑 お金って冷たいものじゃないんだなって感じております。

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